『日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)』読書感想 

日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)

日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)

商業的に大成功したとは言えないものの、わが国の漫画史を鑑みる際に欠かせない名漫画雑誌「ガロ」を産み出した青林堂も今は昔。
名前だけは残してはいるものの、その残滓であるかつてのそれとは別物の現在の青林堂は、アダルトとヘイトを主力コンテンツにした「頼むから青林堂の名前使うの止めて」と言いたくなるような出版社に堕してしまった。

その青林堂が刊行する「ジャパニズム」に連載されていた漫画作品の単行本化、さらには元・在日特権を許さない市民の会会長(以下在特会)の高田誠氏(通名桜井誠)が、帯に「不逞朝鮮人」のヘイトコメントを悪びれもなく躍らせる『日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)』(以下日之丸)がまともな内容の筈もなく、「日之丸」世界で繰り広げられるヘイトスピーチを巡る動きは現実社会で起きているそれとはあまりにも隔絶していた。


物語冒頭、表紙を務める主人公の朔川奏は、強烈な「日本が好きな普通の日本人」(相当配慮した表現をしています)である幼馴染の土基創の陰謀論に辟易する。放課後に彼の母親に息子に届け物をしてやって欲しいと頼まれ、奏は創の元へ行くのだが、そこは日韓国交断絶を訴える保守系市民団体(随分配慮した表現をしています)が李明博元大統領の竹島上陸強行に抗議するデモを開催していた…。

で、ここからがおかしいのだけれども、政治的にこの時点ではノンポリで件の保守系団体とは無関係な奏は、突如北斗の拳に出てくるモヒカンさながらの凶悪な風体の男供に「レイシストの仲間」と一方的に決め付けられ危害を加えられそうになる。言うまでもなく、この凶暴な男達はヘイトスピーチに抗議するために集まったカウンターの一団である。
自分は日本国内で発生したヘイトデモやカウンターアクションを隅々まで熟知しているわけでは勿論ない。ないが主要メディアが報じるヘイトスピーチ関連のニュースには一通り目を通したつもりではいる。ヘイトスピーカーが逮捕されたり、逆にカウンターが逮捕されたり、或いは双方から逮捕者が出たりという事は幾度となくあった。だが、ヘイトスピーチに反対する勢力が偶々通りがかっただけの少女をレイシストの一味と決め付け、問答無用で襲い掛かる事件など聞いたことが無い。そんな事件が起これば現場の警察官が見過ごすはずがないし、何よりもヘイトデモの参加者が瞬時にSNSなどを用いてその事実を拡散するだろう。というより、非力な対象に有無を言わさず襲い掛かる手法というのは寧ろ在特会やその眷属が得手とする。スピーチに抗議した老人や障害者や女性に集団で襲い掛かる動画を彼等自身が動画サイトに何本も何本も投稿しているのだから言い逃れは出来ない。

凶悪なカウンター集団の暴行から危機一髪のところで奏は保守系団体に保護される。その後、保守系団体(しつこいけれども配慮した表現です)の長らしき女性が日韓国交断絶を高らかに謳いあげ、カウンターの「輪姦すぞ!」という下劣な脅しに動揺するでもなく、余裕の表情で中指を立てながら「9センチw」と嘲笑する。非力な対象に集団で襲い掛かるとか、相手が女性であれば容姿を貶したり露骨な性暴力を示唆する手口はヘイトスピーカーも、いやヘイトスピーカーの方が長けていると思い込んでいた自分は認識を誤っていたのだろうか。

先に述べた通りここで描かれているデモは日韓国交を断絶せよという主旨のものである。主張の是非や実現性はおくとしても、それ自体はヘイトスピーチではない。参加者は国交を断絶せよ、李明博許すまじとは言うものの、在日コリアンは皆出て行けとも悪い朝鮮人も良い朝鮮人も殺せ毒飲め首を吊れとも言わない。そんなデモならわざわざカウンターが出張ったり、況してやヘイトスピーチと決め付けて反対の意を示す必要がないのだ。実際過激な主張かもしれないけれどもヘイトではない。第一話からして前提がおかしいのである。
その後、日韓国交断絶デモがマスコミによって大きく報道され、一方的にヘイトスピーチと決め付けられ、奏が蒙った被害などはなかったかのように扱われる。皆一様に保守系団体を悪し様に罵り、モヒカンさながらのヒャッハーなカウンターを正義の味方の如くに称える。その報道を見聞きして奏は事実が報道されていないと愕然とし、この一件を経て政治問題に無関心であった奏は、マスコミ報道やヘイトスピーチを悪とする世間の風潮を疑うようになる。
そりゃここまでヘイトスピーカーに都合の良い世界観が繰り広げられるなら誰だって懐疑の念を抱くだろう…。

朝鮮学校無償化反対デモのくだりも眩暈を催しそうなほどに酷い。
無償化反対デモにも顔を出した創が「くせえぞ朝鮮人!」と叫ぶ様子がネット上にアップロードされ、作中で周囲の大人達をも巻き込んだ騒動に発展する。
ところが、上記の発言はゴミ出しの日にちを守らなかった朝鮮学校の関係者に向けられたものであり、社会的な約束事を破ったルール違反に対する抗議を、さも人種差別的観点から為された発言のように切り貼り編集をした、カウンター勢力による悪意ある卑劣な印象操作だったというのが真相というオチがついている。
現実の朝鮮学校無償化反対デモと称する事実上のヘイトクライムでは在特会に高額な賠償金の支払いが命じられた事、国際社会からも大きな非難が湧き上がった事、そして在特会のメンバーが「スパイの子供は出て行け!」「キムチ臭い!」「ウン○食っとけ!」(これでもまだ柔らかく意訳した表現。実際はもっと酷い)など、言い逃れしようのないヘイトスピーチを発した都合の悪い事実などは言うまでもなくこの作品では伏せられている。だからこそカウンターが卑怯な手を用いたというフィクションにすがらざるを得なかったのだろうけれども、この漫画に出てくるアンチレイシストはともかく、現実のアンチはそんな汚い真似はしない。というより必要が無い。ヘイトスピーカーは己が差別主義者である動かぬ証拠を自ら堂々と動画サイトに投稿してそれで墓穴を掘っているわけだから。第一、ヘイトスピーカーの側が同じ場面を撮影し比較動画などをアップロードされたら、それこそカウンターの不正が明るみになってかえって不利になる。幾ら作中のカウンター勢力を卑怯者な上にそんな事にすら考えが至らない人間のように仕立てたところで、ここまで現実とかけ離れていては最早作者の自己満足でしかない。

後半では高田誠氏(通名桜井誠)をモデルとした「流井真」(さすらいまこと)なる人物が出てきたり、イケメン青年が出てきて影響を受けたり(もちろん彼も「日本が好きなだけの普通の日本人」である)、終いには奏の父親も「真実に目覚め」て外国人参政権反対デモに父娘共々参加するなど、かくしてどこにでもいそうな普通の女子中学生が立派な「日本を愛する普通の日本人」になりつつあるところで本書はひとまずの終わりを迎える。

取り敢えず最後まで読むには読んだが、本書の感想を一言で述べろと言われたら「良く出来た嘘話ですね」としかこたえようがない。
「良く出来た」とは茶化しでも嫌味でもない。作者は「日之丸」の保守系活動家達に最初から最後に至るまでついに一言のヘイトスピーチもさせていない。それは即ち作者に「ヘイトスピーチに該当するスピーチとそうでないスピーチ」の境目を認識・判断する能力が備わっている事を意味する。同時にそれは現実社会で行われているヘイトスピーチを忠実に漫画化すれば、言い訳の仕様がない代物であると暗に認めたも同然である事も意味している。本当にヘイトスピーチ批判が不当で間違ったものだと思うのであればわざわざ現実を改変せず、「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」と書いたプラカードを作中の活動家に掲げさせたり、中学生に鶴橋で虐殺を叫ばせたり、新大久保の在日コリアンが経営している店舗やその客に嫌がらせを仕掛けている様をそのまま描けば良いのだから。
現実に目を向ければまだまだ良い方向に向かっているとまでは言えないものの、朝鮮学校を襲撃した在特会に厳しい判決が下ったり、地方自治体でも独自にヘイトデモを規制する動きが出てきたりと、僅かずつではあるが差別主義者にとって日本は居心地の悪い国になりつつある。そんな差別主義者が現実を歪め捻じ曲げた「日之丸街宣女子」という心地よい虚構の世界観に逃避するのも無理からぬことなのかもしれない。

最後に、本の内容とはあまり関係ないが、本作の絵柄についても少々述べたい。
作画を担当したのは富田安紀子氏という人物で、青林堂以外の商業誌でもそれなりに実績のある漫画家のようだ。素人目に見ても、例えば山野車輪氏などに比べれば一段上の画力を有しているように思える。
内容は論外だが、絵柄だけ見ればアクが強いでもなくクセが強いでもなく、それなりに読みやすいものがあるので需要もそれなりにあるのだろう。
「どーせこんなヘイト漫画描くやつなんて食い詰めた三流漫画家かなんかだろ」と冷笑するのは容易いが、軽視するのは些か危ういかもしれない。