人権侵害市長、自身を棚に上げて他者を糾弾す

何という卑怯卑劣な男だろうと思った。
週刊朝日の「ハシシタ」記事に噛み付き、編集長を更迭し、社長の首を飛ばせておきながら今頃になって問題をぶり返した橋下徹大阪市長の事である。

http://http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130406-00000002-jct-soci

大阪市橋下徹市長が、一度は和解したはずの週刊朝日朝日新聞出版)に怒りを爆発させている。前回、橋下市長の逆鱗に触れたのは、自らの出自に関する連載だったが、今回の怒りの矛先は、橋下市長のメディア露出のあり方について茶化した記事。

 この記事をきっかけに、「過去の人権侵害記事について、民事、刑事の法的手続きを執ります」と、一度は解決したはずの問題を蒸し返す決意を固めたようだ。

■連載問題は社長の引責辞任で解決したはずだった

 橋下市長の出自をテーマにした連載「ハシシタ・奴の本性」をめぐっては、2012年11月に朝日新聞出版の神徳英雄社長が引責辞任。親会社にあたる朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」が経緯を検証、橋下市長に報告の上で謝罪し、この時点では橋下市長も謝罪を受け入れて矛を収めていた。

 だが、13年4月6日14時30分、橋下市長は突然ツイッターで怒りを爆発させた。橋下市長が矛先を向けているのは、週刊朝日の4月12日号に「石原慎太郎代表の復帰と賞味期限切れで焦る橋下市長」と題した記事。紙媒体は4月2日に発売されたが、4月6日になって一部がウェブに掲載され、橋下市長の目に触れたようだ。記事では、在阪テレビ関係者が

  「もう橋下さんでは視聴率がとれない。議員団とのドタバタ劇に大阪人は興味を示さない」

と橋下市長の影響力低下を指摘。その上で、「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)や「たかじんNOマネーGOLD」(テレビ大阪)といった古巣のバラエティー番組への出演が目立つことを踏まえながら、

  「焦ると政治家はネット番組ややわらかい番組に出たがるものです」

という議員秘書のコメントを紹介して出演を揶揄した。
「真正面からの政策批判かルール違反行為の追及で攻めて来いよ」
 この点について、橋下市長は

  「週刊朝日が僕に対して重大な人権侵害をやったのはつい半年前。そのことで公人チェックを緩める必要はないが、せめてそのような大失態をやったなら、真正面からの政策批判かルール違反行為の追及で攻めて来いよ。それを、こんな人をバカにしたような記事を載せやがって」
  「俺が知事になって今があるのは、行列のおかげだし、たかじんさんのおかげでもある。たかじんさんが復帰したと言うことで番組に伺って何が悪い」

と怒りをぶちまけた。その上で、週刊朝日への対応方針を改めることを宣言した。

  「報道の自由表現の自由が民主主義の根幹だからと思って黙っていたが、こういう人権侵害週刊誌は、性根が腐っている。黙っていたら調子に乗るばかりだ。公人になってから報道の自由は絶対的に尊重していたが、こりゃダメだ。人権侵害週刊誌の週刊朝日に対して法的手続きを執ります」

 あわせて、法的措置の対象は、今回の記事ではなく過去の連載であることも明らかにしている。

  「今回の茶化し記事についてではないです。過去の人権侵害記事について、民事、刑事の法的手続きを執ります。ほんと週刊朝日もバカだよねえ」




さて、橋下市長の様式美ともマンネリとも馬鹿の一つ覚えとも言える「敵を設けて攻撃する事で支持率回復を図る」手法が今まで同様、今回も通用するのだろうか。アンチ朝日やアンチマスコミ及び橋下信者であれば大喜びするのかもしれないが、流石にそれ以外の有権者はワンパターンな「キレ芸」に飽きてきたというのが本音ではないだろうか。

「キレ芸」のテーマも芳しくない。
嘗ての「ハシシタ」記事では部落問題が重要なテーマとなり、「差別の被害者たる橋下徹」VS「部落差別で為政者批判をする週刊朝日」という極めて分かりやすい、尚且つ善悪の判別が容易い構図で有権者にアピールする事ができた。個人的な「ハシシタ」感想を言わせて頂けば、件の記事はDNAや血脈に橋下市長の批判されるべき人間性を求めたのでは無く、環境に後天的な人格形成の源を見出した記事であり、ドギツイ表現こそ多用されているが、あくまで「ハシシタ」は下品で痛烈な表現を用いた「批判」ではあっても「差別」ではないというのが私の率直な感想。私の感想などは兎も角、橋下市長は見事に差別主義者対被差別者の構図を導き出し、圧倒的有利な状況で「完全勝利」を収める事ができた。橋下市長は実に卑劣な男ではあるが、こういう事をやらせると天才的なまでに上手い。

一方、今回の「賞味期限切れ」に関しては、口にこそ出さねど少なからぬ人々が維新に対して抱いている印象ではないだろうか。
直近の世論調査でも維新の低迷ぶりは明らかである。離党ドミノに拍車がかかり、崩壊寸前とさえ言われている民主党にすら支持率で劣っている現実は、ほんの少し前まで「第三極」などと持て囃されていた橋下市長にとってはさぞ面白くない事だろう。
たまに維新の話題が出てくると思えば、石原慎太郎共同代表が脳梗塞で安否を気遣われたり、元気になったと思ったら日本の軍事国家化を公言して健康面とは別のところが悪化していたり、橋下市長の子分Aがブログで子供じみた中傷をしたり、子分Bが市民からの陳情書をゴミ箱に捨てて、あろうことかその様子をネット上にアップロードしたりとそんなんばっかりである。
「ハシシタ」記事の時と異なり、有権者の共感を得るのが難しい「賞味期限切れ」記事ではあるが、それでも誰かに攻撃を仕掛ける事でしか有権者にアピール出来ない橋下市長には他に手段が無いのだろうなと思う。そして、刹那的な話題作りが飽きられると法的措置という一段強い姿勢で人々の歓心を惹こうと躍起になる。まだ喰えるうちは良いが、こんな事を繰り返せば橋下維新はやがて腐りきって犬も食わぬ代物と化すだろう。


何にも増して卑劣なのは、既に一応の決着を迎えた事案を今頃になって蒸し返す腐れた橋下市長の性根である。「賞味期限切れ」報道で癇癪を起こしてその記事を法的手続きの遡上に上げるというのならば分かる。「まーた橋下徹のマンネリ芸がはじまった」と呆れはするが理解も出来る。しかしながら、この程度の記事では訴えたところで勝ち目は薄い。そこでこの男の陋劣さと狡賢さは他の事案を媒体にして「ハシシタ」を再び蘇らせた。
個人的な他愛も無い予想になるが、恐らく橋下市長は本気で長い時間と費用をかけてまで「ハシシタ」の法的決着を望んでいるわけではなく、「ハシシタ」をだしにして、法的手段を一種の「交渉材料」として日頃自分に批判的な朝日に圧力を加えたいのではないかと思う。
橋下市長の性格上、短くても結審までに数ヶ月〜数年かかる裁判という手段は好まぬだろうし(昨年のハシシタ騒動の際も朝日への「取材拒否」という即効性のある手段を用いた)地裁の判決が下る頃には有権者の興味などとうに薄れている。瞬間の話題性で勝負する橋下市長にとって労多くして益の少ない争いなのである。勿論、「せっかく俺様が寛大な心で許してやったのに、朝日の馬鹿共はまたしても俺様に批判的な記事を書きやがる!ふざけるな!」という思いもあるのだろう。橋下市長が職員に対して実施した思想調査が大阪府労委に不当と認定され、一旦は己の非を認めるも組合の発言に逆切れしたように。


ほんと橋下徹はバカだよねえ。

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」を読む  第二章

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」 (宝島社新書)

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」 (宝島社新書)

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」を読む』第二章「弱者のツール」では、山本一郎氏がネット右翼を「単なるバカの集団暴走」で切り捨てず、海外のインターネット事情をも交えながらネット右翼の理解に務めようとしている。

ネトウヨに関する議論で、とりわけ経済の分野で取り沙汰される内容は、その暴力的で刹那的なデモによる衝動や、対話が不能なほどネット上で凝り固まった固定観念に対する恐怖だ。確かに、一面ではそうだろう。花王やフジテレビに対するデモでは、企業の側がネットで盛んに叩く人々との対話の機会やチャネルを求めて奔走したが、釈明を行う機会も満足に与えられる事無く、不買運動やデモを仕掛けられて、いわれなき損害を蒙らざるを得なかった。集団からの抗議を受けた企業は、これに対して沈静化を働きかけようにも、その集団の中心人物がはっきりしなかったからだ。

ネット右翼の非論理性と知性の欠如を示すエピソードの中でも、特に現実社会に与える深刻な影響力という点ではフジテレビデモや花王デモ、ロート製薬デモなどの反企業デモを外すわけにはいかない。
その動機は関心の無い第三者からすれば何とも理解しがたいものばかりなのだが、「ネットで真実」を知ったネット右翼にとってはデモを正当化する「大義」は必ずしも筋の通った内容である必要はないのかもしれない。社会の変革を求める切実な意志の元に目的が達成されるまで粘り強く行われるのが普通のデモだが、ネット右翼のそれは一時的な動員力はあるものの、極めて瞬間的で寧ろ目的の達成よりは「祭りに参加する楽しさ」が重視されているように思える。だからフジテレビデモにしろ花王デモにしろ、「韓流偏重の是正」なる目標が客観的に見ても達成されたとは思えないにも関わらず、あっという間に最盛期の勢いを失った。
従って、幾ら企業がデモ隊と対話の機会を設けようにも固定観念に凝り固まり、且つ対話よりも「祭りに参加する楽しさ」を求めるネット右翼相手では意思疎通による事態の沈静化は望むべくもない。ネット右翼がデモに飽きるか、別の「祭り」を見つけてそちらに関心が移るまで企業は耐えるしかない・・・・・何とも残念な話だが、これが現時点でのネット右翼に対する最適解なのである。


では、ネット右翼なるものの主義主張は、取るに足らないものなのだろうか。
いわゆる偏狭なナショナリズム排他主義と切って捨てるのは簡単だが、その主張が稚拙で根拠が薄弱だからといって、その一部の内容を稚拙さをバカにして問題視しないというのはなかなか難しい。
(中略)
しかし、日本人の手による日本のネット社会だけがナショナリズムに侵されリスキーな状況になっているのかというと、そうでもない。実のところ、中国でもロシアでも欧州でも英語圏でも、ネットが普及した世界各国で、ちょっとした発言の取り違いや、ネットでの自然発生的なガセネタの発生によって甚大な被害をもたらす社会的大問題に発展することはあり得る。

2011年8月4日、ロンドン市北部トッテナムで、犯罪の容疑をかけられた29歳の黒人男性が警察官に射殺されたことを契機に、イギリス暴動、通称「愚者の祭り」が始まった。それが完全に沈静化した8月11日までのおよそ1週間、ロンドンからイギリス各地の都市へ暴動が広まっていったが、この時、暴動の引き金や拡大に大きく寄与したのは、普及した携帯端末ブラックベリーの無料メッセージ機能とソーシャルメディアだった。

ドイツでも移民に仕事を奪われたと主張する保護主義者のクラスタを中心に、ナチズムを再評価する動きがネットでの議論と一部連動し、ネオナチと呼ばれる新たな国粋主義と大ドイツ主義への回帰的な政治運動に直結している。


海外の大規模な暴動に比べれば、我が国のネット右翼がしでかした日の丸引きずりおろしやロート製薬への強要などは、或る意味では日本が相対的に切羽詰った問題を抱えていない国である事の証明でもある。ネオナチのように殺人や放火などの凶悪犯罪にまでも至っていない。
無論、だからといってネット右翼の不祥事や蛮行を許してよいという結論には絶対にならないし、被害を受けた企業にとっては事態は深刻である。だからこそ、日の丸を引きずりおろした「頑張れ日本」のメンバーや、ロート製薬に「キム・テヒをCMに使うな!」と義務の無い行為を強要したチーム関西のメンバーは相応の社会的制裁を受けているのだが。
我が国のネット右翼が死傷者を出すほどの暴動を起こしたり、ガチのレイシストのように凶悪な犯罪を起こさない今のうちにこそ、具体的な対応策を真剣に考えなければいけない時期にきているのかもしれない。



(中略)
日本人としての自負よりも先に、不当に虐げられている自分というスタンスから、自分よりうまくいっている韓国人や韓国経済がけしからん、今までこういう韓国をのさばらせてきた日本の官僚や政治家はけしからん、日本の統治機構は日本人に対して逆差別を行っている、といった論理の元に、ネット右翼の言論は構築されているケースが多く見られ、従来のファシズムナショナリズムへの分化とは違ったアプローチを踏む。ある意味で、拭い去り難い被差別意識や被害妄想にも似た、うまくいっていない自分を救済する心理作用としてのネット右翼である。それゆえに、自分以外の権威のすべてや、自分よりも下と思う階層すべてに対して、不満を抱き批判せずにはいられない、我慢ができないという状態だ。

ネット右翼の内面・原理・あらゆる言動に至る心理は、突き詰めれば「うまくいってない自分を救済する心理作用」にあるのだろう。
ネット右翼が発する言論は誰かに対する呪詛にも似た罵りであり、建設的な議論など望むべくも無いのが常である。弱者のルサンチマンと言ってしまえばそれまでだが、逆に言えばそこにこそ「ネット右翼」を本当の意味で救済するヒントがあるのかもしれない。

フジテレビデモで思い出した事があるのだが、主催者の一人がデモで知り合った女性と交際を始めた途端にデモから卒業してしまったという話を聞いたことがある。之を「出会い系デモ」などと呼称して揶揄するのは容易いが、彼なりの大義や危機感を以て望んだはずのデモだった筈が、現実社会でイイコトがあった途端に彼女>デモへと優先度が変化したという一例は、正に「うまくいってない自分を救済する心理作用」の裏返しではなかったか。
その他のデモ参加者にしても、本来「韓流偏重」(とネット右翼が妄想しているもの)を是正するのが最大の目的であった筈のデモが、何千人という参加者が集まった事だけに自己満足して、その後は見る影も無く衰退していった現実を鑑みると、結局は日常生活のガス抜き的な意味合いの方が強いだけだったのではないか。
こんな馬鹿馬鹿しいデモに晒されたフジには心の底より同情と、それでも無法な言い掛かりに屈せず、毅然とした対応を貫いた事に敬意を表するものであるが、それは別としてリアルで同好の士や異性と接する事によって満足感を得、デモ本来の目的は何ら達成されていないにも関わらずデモから卒業していったネット右翼が少なくなかったこの事実は、非常に興味深い事例に思える。














































ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」を読む  第一章     

ここ最近、週刊誌などでネトウヨ関連の記事を目にする機会が増えた気がする。
ネトウヨ」の反社会的行動の数々がネット界隈を飛越え、現実社会でも問題視する人々が多くなったが故なのかもしれない。
近年では保守オピニオン誌「SAPIO」でも「ネトウヨ亡国論」なる一大特集を組むなど、右の側からのネット右翼批判も珍しいものでは無くなってきた。


そのネット右翼を論じる人々というのは大体決まっていて、一人は「ネットと愛国」で在日特権を許さない市民の会在特会)を初めとする「行動する保守」へ傾倒、或いは離反する人々の心情を綿密な取材で浮かび上がらせたジャーナリストの安田浩一氏。

一人は名著「ウェブはバカと暇人のもの」で、ネット右翼を含むネットユーザーの愚かしさを見事な筆致で浮かび上がらせた中川淳一郎氏。

一人は「切込隊長」のHNで有名な元・アルファブロガー中川一郎氏。

あとは漫画家の小林よしのり氏とか、最近では田原総一朗氏や桜井よしこ氏なども情報媒体でネット右翼に苦言を呈す事が増えてきたようで。ネット右翼について金が取れるほどの記事を書ける人となると限られてくるらしく、まだまだその数は多いものではないが、まあ熱心に研究したところでネット右翼など何の為にもならない連中だし、ちょっとばかりネット右翼をネタにして記事を書こうものなら、忽ちSNSや匿名掲示板で非理性的な罵倒の限りを尽くすような狂人だ。積極的に取り上げたい対象ではないのは確かだろう。






ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」 (宝島社新書)

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」 (宝島社新書)

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」』はネット右翼批判の中でも急先鋒ともいえる安田浩一氏・中川一郎氏・中川淳一郎氏らによる共著。最後の第四章は三名による鼎談、というより雑談のようなネトウヨ論。文庫本ではあるがなかなかに中身の濃い本である。

帯の記述も短いながらもネット右翼の本質を射ている。
反韓・反マスコミ・反エリート」は正にネット右翼の行動原理の基となっている部分だろうし、「被害者意識が生み出した矛盾だらけの人々」という一文はルサンチマンとその反発に塗れたネット右翼の内面を的確に現している。



第一章では安田浩一氏による在特会への批判と、彼等が主張する在日特権、朝鮮進駐軍朝鮮学校の「反日教育」などに対する反論がメイン。
ネタばらしをしてしまうと、この章は安田氏の近著「ネットと愛国」で既に語られている内容と多分に重複する所がある。
ロート製薬デモに対する言及など多少の書き下ろし箇所も幾つか見受けられたが、「ネットと愛国」を読んだ事のある人は少しばかりがっかりするかもしれない。私もそうだった。
ただ、それは裏を返せばネット右翼の言い分が何一つ学ばず、何一つ進歩せず、何一つ成長していないから安田氏も同じ事を何度も何度も繰り返さなければならないという事なのかもしれない。
ネット右翼と多少なりとも意見を交わした事のある人ならば分かるかもしれないが、ネット右翼は同じ事を飽きもせず繰り返すし、第三者が納得しうるだけの論拠を提示する能力も無く、そのくせ異様に執拗だ。まるで「最後にレスした者が議論の勝者」とでも言う、独自の基準に基いて行動しているような。これらは必ずしもネット右翼特有の行動では無いが、このようなネット右翼の議論とも呼べない執念深さに辟易した人も多いのではないだろうか。嘘も百回唱えればなんとやら・・・ではないが、その執拗さを以て在日特権なる都市伝説を広く世間に流布したという点に於いてはある程度成功していると言えるのかも知れない。

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

そういったネット右翼の嘘にどう対抗すべきかと考えれば、やはりきちんとした反論をネット右翼に対し、世間に対し述べてゆく以外には無いのだろう。その意味では「ネットと愛国」との重複部分は個人的には残念ではあるが無意味なものではないし、この記事を取っ掛かりとして「ネットと愛国」に関心を持つ人が一人でも増えれば良いなと思う。

安田氏の言で興味深いのは「朝鮮人」や「在日」は一種の記号であるという指摘。
在特会ネット右翼が異常なまでに攻撃的で他者を口汚く罵れるのは、無論彼らが人間として持ち合わせていなければいけない必要最低限の良識すら有していないからというのもあるだろう。事あるごとに「朝鮮人」や「在日」呼ばわりするのも、自分以外の他者に対する理解と良心に欠けているが故なのだろう。だが、他者を「記号」という無機質な何かと看做しているのではという指摘は肯かされる。「記号」だから相手に対する反応は常に同じ。「記号」だからどれほど醜い悪態をついても許されると勘違いする。「記号」だから相手を殊更理解などする必要も無い・・・・相手は「記号」であって「人間」ではないのだから。

そう考えると、在特会ネット右翼の醜悪さの根源が何に拠る物なのかが分かったような気がする。
人を人と認めないおぞましさは彼ら自身のおぞましさでもあるのだ。

尾木ママや橋下徹こそ命を軽んじているではないか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130122-00000043-rbb-ent

大阪市教育委員会が、体罰を受けた男子生徒が自殺した大阪市立桜宮高校の体育科の入試を中止すると決定したことを受け、決定に反対する同校の生徒が記者会見して入試の実施を訴えた。この生徒たちの行動について、“尾木ママ”こと教育評論家の尾木直樹氏が憤慨している。


 市教委の決定では、今春の同校体育系学科の募集を中止し、普通科として募集するとした。この市教委の決定をめぐり、同校で運動部キャプテンを務める在校生数名が21日に記者会見を開き、決定を批判したことを複数メディアが報じた。尾木氏は22日に更新した自身の公式ブログでこの件について言及。「なぜ記者会見なの?」「ご遺族の心情考えているの」「命の重みわかっているの」と憤慨するとともに、「誰が仕組んだのかしら?」と、生徒以外の何者かの入れ知恵である可能性についても触れ、「やらせるなら生徒会でしょう。なぜ部活の部長? 出てくるべきは学校、顧問、教師でしょう!!」と怒りをあらわにした。

 さらに尾木氏は、会見を行った生徒らが見せた“教師に依存した姿”について、「橋下市長の言う通り、体育科そのもの」と指摘。生徒と教師とが「従属関係」にあり、マインドコントロールを受けているような状態を「教育に危険、不要なんです」として、「抜本的に見直した方が良さそうですね」との考えを示した。

 前日のブログでは、市教委の決定について、「体罰の悲劇を受け止めけじめをつけた」点と、「受験生の救済」との2点において「この段階としては評価できると思います」と支持していた尾木氏。「後は人事の刷新、在校生のケアと新生。桜宮作るために、先生も教育委員会も子どもたちと共に立ち上がることです!!尾木ママ応援します」とつづっていただけに、今回の記者会見の1件はどうしても看過することができなかったのだろう。22日付けのエントリーでは、今回の事件によって大きな衝撃や動揺を受けたであろう同校生徒たちを慮るとともに、「これはひとりバスケ部の問題ではありません!!今こそ正式に生徒会が立ち上がる時!学校づくりの課題として、クラス討論を基礎に、全校生徒の新生桜宮高校ビジョンまとめるべきです」と改めて生徒たちに呼びかけている。


憤慨した。


教育評論家を自称する「尾木ママ」こと尾木直樹の言葉の暴力に憤慨した。



尾木ママは生徒達が何者かの入れ知恵により、洗脳されて、マインドコントロールされて会見に至ったと推測しているが、一片の証拠もなしにどうしてそんな事が言えるのか。結局、この尾木ママなる人物は上辺こそ子供たちの味方でござい!てな面をしているが、内心では己の意にそぐわない子供は見下すような人間ではないのか。そう思った。

在校生の切々たる主張は逐一筋が通っていて正論だった。
何の罪もない彼ら彼女らにあんな悲痛な訴えをさせるまでに追い込んだ橋下に憤り、相当な覚悟を以て会見に臨んだ子供たちの心情を想像するだけで涙が出そうになった。尾木ママも教育評論家を自称するなら、どうして橋下では無く子供たちの側に立ったモノの考え方や発言をしないんだ。ましてや、子供たちを侮辱するかのような洗脳だのなんだのいう言葉は教育者として論外だ。どうしても「差し金」「マインドコントロール」なる戯けた主張を貫きたいのであれば、最低でもその根拠証拠を万人に提示したうえで自説を展開するべきだ。故なき中傷はいじめと変わらない。尾木ママにはいじめを論ずる資格は無い。
 

尾木ママは「命の重みわかっているの?」と、まるで生徒やその保護者達が自殺した生徒の事など一顧だにしない冷酷な人種であるかのように評する。
それ自体が決め付けと言う一種の暴力を行使している事に何故気がつかないのだろうか。
「命の重み」を訴えるからには、尾木ママは生徒が指導者の体罰により自殺に追い込まれる悲劇を根絶したい・・・そう考えているのだろう。その事に異を唱える人もまずいないと思う。

なれば、尾木ママが真っ先に批判しなければならないのは生徒たちでは無く橋下徹である。



橋下市長「体罰あり得る」/「禁止はうわべのスローガン」/大阪自殺問題で

大阪市立桜宮高校バスケットボール部の男子生徒が教員から体罰を受け、自殺した問題で、橋下徹市長は10日、「正直僕は、クラブ活動の中でビンタをすることは、ありうると思っている」と体罰を容認し、「きちっとルール化できていなかったのが問題だ」などと主張しました。

 橋下氏は教員による体罰について、「全国大会を目指す桜宮高校の体育科では、保護者も含め、ある程度のところは教育的な指導だという暗黙の共通認識があったのではないか」と発言。「にもかかわらず教育委員会体罰禁止とか、手を上げることは絶対にありえないという、うわべっ面のスローガンだけで事にあたっていたことが(事件の)最大の原因」と強弁しました。

 その上で、実態解明と体罰をどこまで容認するかというルールづくりを主張し、「これは議論が出ると思う。“手を上げることを前提とするルールをつくるのか”ということになるでしょうけど、それはそれでまたそのときに批判を受けながら議論していけばいい」などと語りました。



橋下はテレビで法律漫談をやっている昔からバリバリの体罰肯定論者であった。政治家になってもそのスタンスは変わらず、驚くべき事に男子生徒が自殺した直後にも体罰を容認する発言を繰り返しているのである。
体罰を苦に自殺した生徒やご遺族からすれば、これこそ「命の重みわかってるの?」と憤慨して然るべき暴言ではないか!

「ルールづくり」?
ふざけたことをいっちゃいけない。
「ココまでが体罰」「ここまでが教育的指導」なんて線引きを設けるなど現実的に考えれば不可能である。生徒によっては何十発殴られようと堪えられる人もいれば、一発小突かれただけで多大な精神的ショックを受ける人だっているだろう。呆れた事に、当の発言者である橋下は「それはそれでまたそのときに批判を受けながら議論していけばいい」と無責任極まりない言い訳で問題を先延ばしにしているが、体罰を限定的にしろ看過する行為そのものが、桜宮高校の如き悲劇を再発させる土壌を養う事になぜ気がつかないのか。



尾木ママに問いたい。貴方(貴女?)が支持する橋下徹のしでかしている行為は体罰に類するものではないのか?と。体罰を憎みながら橋下徹に賛意を示すのは、それ自体が大いなる矛盾ではないのか?と。




桜宮高校に関する 橋下市長の発言について―――要請書

●発言する保護者ネットワーク from 大阪

■市長への要請書

桜宮高校の入試中止など、一方的な提案は問題解決になりません
さらに生徒を苦しめる言動を、中止してください
――― 痛ましい事件が起きた緊急事態だからこそ、慎重で冷静な対応が必要です ―――

2013年1月18日    .

  大阪市長  橋下徹  殿 
発言する保護者ネットワーク from 大阪   .


【要請事項―――― 私たちの思い】
1 市長は、桜宮高校の在校生・受験生を傷つける言動を繰り返さないでください。
2 桜宮高校の入学試験実施のための予算執行を停止しないでください。
3 体罰をなくす方法について、保護者・生徒・教育関係者から十分に意見を聴取し、その合意のもとで解決策を推進してください。

【要請の理由】

  私たちは、現役子育て世代が集まるネットワークです。 「子どもに寄り添う教育」を願って、学んだり語り合ったりしながら、情報や意見を発信しています。
  大阪市立桜宮高校で体罰を受けた生徒が自殺するという痛ましい事件が起きました。その後の橋下市長の言動には、次のとおり問題点があると考えています。生徒や保護者をさらに苦しめる言動をとらないよう、次のとおり要請します。


1 市長は、桜宮高校の在校生・受験生を傷つける言動を繰り返さないでください。

  橋下市長は、桜宮高校の全生徒・全教師が責任を負うべきであるかのような発言を繰り返しています。一例として、1月15日の記者会見では、「仲間が死んだのだから、今何をすべきか考えてもらいたい。この状況で部活をやったら、人間としてはダメだ」と発言しています。
  この発言は、体罰が横行するなかでの学校生活を余儀なくされていた在校生が、さらに罰を受けることを当然視するかのようです。また、生徒や保護者の意見を聞くこともないままに、こうした発言を繰り返しているという点にも問題があります。
  いま大切なのは、今回の件を受け止めて、在校生・教員・保護者が深く話し合う機会を設けることです。上からの「禁止」や「命令」を振りかざすのは、体罰の延長線上にある同じやり方です。これでは、体罰の温床をなくして本当の解決を実現することは難しいと思います。


2 桜宮高校の入学試験実施のための予算執行を停止しないでください。

  橋下市長は、1か月後に迫った桜宮高校の入学試験を中止すべきと発言し、その予算執行を停止すると述べています。たとえば1月17日の記者会 見では、「(桜宮高校は)子どもを迎えられる体制ではない。受験生がかわいそうといったことよりはるかに深刻な事態」、「(今春の入試は)あきらめてもらう」と述べています。
  しかし、今年の受験生にとって、自分が目標として目指してきた高校への入学試験は、一生に一度の大事な機会です。そして、このために長い期間をかけて勉強と準備を重ねてきたのです。それを直前期の今になって、受験生自身には責任がない事情に基づいて、突如として目標が失われることの喪失感や無念は重大です。
  入試を中止する権限をもたない市長が、教育関係者や学校現場の意見も聞かないままに入試の中止を強く主張して妨害しようとするのは、まさに体罰と同じく一方的かつ強圧的な手法であり、真の合意形成や問題解決とは程遠いものです。


3 体罰をなくす方法について、保護者・生徒・教育関係者から十分に意見を聴取し、
  その合意のもとで解決策を推進してください。

  生徒の自殺という痛ましい出来事が起きた場合に必要なことは、教師や学校に対するバッシングではなく、その背景事情を含めた十分な事実解明と再発防止策の策定です。
  今回の件についても、市長および市教委から独立した公平・中立な第三者機関による調査が必要です。その際には、2011年6月1日付の文科省通知「児童生徒の自殺が起きたときの背景調査の在り方について」に沿った内容(遺族への適切な説明や意見聴取、弁護士だけでなく教育・スポーツ・医学・心理など他の領域の専門家も第三者委員会に入れること等)により調査が進められるべきです。
  橋下市長は、桜宮高校とその関係者を対象にした攻撃的な言動を繰り返していますが、これは桜宮高校で生じていた問題の解決にならないばかりか、他の学校に通う生徒やその保護者の不安にこたえることにもなりません。

橋下市長は、私たち現役子育て世代の声をじっくりと聞いていただき、子どもと保護者を苦しめる言動を繰り返さないように、強く求めます。
  

理の通った、本当の意味での子供たちのことを考えた文章である。
特に『入試を中止する権限をもたない市長が、教育関係者や学校現場の意見も聞かないままに入試の中止を強く主張して妨害しようとするのは、まさに体罰と同じく一方的かつ強圧的な手法であり、真の合意形成や問題解決とは程遠いものです』の下りは橋下徹の本質と体罰の同根を突いた優れた慧眼であるように思う。教諭の高圧は否だが、橋下の高圧は是という二重基準を有さぬ人間でもなければ、この下りは充分理解できるはずだ。



先日、大阪市教委はその橋下の高圧に屈し、桜宮高校体育科の入試中止を決定した。が、多くの人々が指摘するようにそれは「看板をかけかえただけ」の小手先の改善策に過ぎず、勿論体罰や自殺の再発防止とは全く関係の無い、橋下への阿りともとれる妥協案でしかない。
もし橋下が本気で生徒を自殺させないと考えているならば、こんな看板のかけかえで納得していい筈がないのだが、各種マスコミ報道を見聞きする限りでは橋下はまんざらでもない様子だった。


橋下は本心では自殺した生徒の事なんかどうでも良かったんだ。
在校生の意見など聞く耳持っちゃいなかったんだ。
受験生の将来など知ったこっちゃなかったんだ。


橋下が欲していたのは己のサディズムを正当に発散させられる攻撃対象であり、好き放題に振舞う快感であり、権限を不当に私して己が力を他者に見せ付けたいという自己顕示欲だけだったんだ。

それ以外に橋下が「看板のかけかえ」に満足した理由を私は見出せない。



結果的に橋下は自身の権力欲求を充分に満足させ、大阪市教委も橋下の面子を立てる事で双方にとってはまずまずの結末を迎えられた。
本来子供達の未来に多大な責任を有するはずの大人達が、何の罪もない在校生と受験生に理不尽な犠牲を強いて互いの面子と立場を守った事になる。

これほどおぞましく醜い茶番を私は他に知らない。知りたくもない。








尾木ママが本当に、真剣に、真摯に「命の重さ」を叫ぶのであれば、「自殺した生徒」を引き合いに出して論敵を黙らせる前に訴えるべき事は山ほど有るだろう。
自殺事件の徹底した検証、その防止策、体罰に頼らない教師の指導力の向上・・・。学校だけでは無く、一昨年、公益通報の窓口に体罰の情報が寄せられたにも関わらず、体罰による犠牲を防げなかった大阪市にも苦言を呈すべきだ。そしてそれらは、在校生や受験生に不利益をもたらさずとも出来る事ではなかったのか。



仮に他の学校で桜宮のような悲劇が再び繰り返されたとする。
尾木ママは、そのたびに教職員を全部取り替え、入試を中止し、場合によっては廃部廃校をも常に視野に入れよと主張するのだろうか。

問題を起こした教師に相応のペナルティを科せというなら分かるし当然だ。

だが、教職員の総入れ替えは生徒と良好な関係を築けていた教師との理不尽な別離を強要する事にも繋がるし、そもそも新しく他所から来た教師や新規に採用した教師が体罰を振るわないとどうして断言できるのか。どうして教員を入れ替える事が体罰と自殺の防止に繋がるのか。体罰は桜宮に固有の問題ではない。


入試の中止は言うまでもなく受験生の進路将来を大きく狂わせる。家庭によってはその為に不相応な経済的負担を強いられるかもしれないし、最悪の場合は進学を断念せざるを得ないケースも出てくるだろう。橋下や尾木ママに何十人、何百人もの在校生、受験生、及びその保護者や関係者にそれほどの理不尽を強いる権利があるのか。それはれっきとした暴力じゃないか。
「命の重み」を、論敵を感情的に黙らせる都合の良い錦の御旗に仕立て上げるな!






一つだけ収穫があるとすれば、この「尾木ママ」なる自称教育評論家が、その実教育問題のスペシャリストとは到底呼ぶに値しない似非であると気がつけた事だ。物腰柔らかく、バラエティ番組に引っ張りだこで、本を出せば忽ちのうちに売れる人物と言うだけで、私はこの人を立派な教育評論家と錯覚していた節がある。自身への戒めとしたい。

古谷ツネヒラ著「竹島に行ってみた!」の簡単な感想

竹島に行ってみた!マスコミがあえて報道しない竹島の真実 (SEIRINDO BOOKS)

竹島に行ってみた!マスコミがあえて報道しない竹島の真実 (SEIRINDO BOOKS)





古谷ツネヒラ氏個人の竹島見聞録としてはなかなかの出来映えだし、外務省の怠慢を強烈に皮肉った『「不法占拠」という言葉はもう使うべきではない』という主張には肯かされる。
ただ、あとがきで竹島問題に関心を示さない人間に対して「殺意すら覚える」という下りには、「流行のネタに追随して本書いて銭を稼いでいるヤツが偉そうな事抜かしやがんなあ」とは思ったけれど。
少なくとも、みっともない逆切れで国旗引き摺り下ろしを正当化した「フジテレビデモにいってみた!」や、「韓流ゴリ押しの真犯人はコイツだ!」という大層な副題を設けながら、マスコミが韓流をゴリ押ししている具体的な根拠を「憐れみ・見下しの左翼イデオロギー」なる偏向した主観に求め、褒めるところが「捨てました」と「ステルスマーケティングした」をかけた駄洒落以外存在しない「テレビ・韓流・ステマした」に比べれば出来は良い。



一方で、「マスコミがあえて報道しない竹島の真実」という副題は誇大表現という他無い。
今や領土問題は国民的な関心事であり、テレビ・新聞・ネット・書籍その他諸々、竹島問題を取り扱った情報媒体も多岐に渡る。
本書でも紹介されている、韓国側が主張する「独島を韓国領とする根拠」の薄弱さは「竹島に行ってみた!」に先駆けて多くの識者が指摘するところであり、竹島の現状や独島博物館の様子などもやはり近年の国内メディアで報道されるようになってきた。
まあ、「マスコミが報道しない〇〇の真実」というフレーズはある種の人々が好んで用いる言い回しなので、然程突っ込むところでも無いだろう。







余談ではあるが、些細ながら違和を覚えた点を一つ。

本書の25ページに、青林堂から1994年に出版された『定本 ディープ・コリア―韓国旅行記』という書籍への言及が有る。

定本 ディープ・コリア―韓国旅行記


その際、「我が青林堂」という言い方をしているのだが、青林堂の社員でもない(自称)著述業者が何故「我が青林堂」という言い回しをするのか奇異に映った。古谷氏は同じく青林堂が出版している「ジャパニズム」という雑誌の編集長も務めているらしいが、その故であろうか。或いは近年の青林堂は「チャンネル桜叢書」なるトチ狂った企画を立ち上げ、既に何冊もの本を出しているようだが、その故であろうか。
若手のまだまだ知名度も実績も乏しい論客に、僅か一年の間に3冊も本を書かせる厚遇振りと関係が有るのだろうか。

因みに、そのジャパニズム最新号に『【PHOTOコラム】デモンストレーション・ナウ!フジテレビ抗議デモ1周年デモ』という記事があったので目を通してみた。


ジャパニズム09


ざっくり纏めると、「メタル兄弟」なる素性の分からない二人組の男性による簡素な記事で、「フジテレビ抗議デモのおかげでフジの視聴率が下がってきた!これからも継続して頑張る!」というようなもの。勿論、抗議デモと視聴率低下の因果関係に対する解説や考察などは一切無い。「メタル兄弟」なるハンドルネーム(?)といい「ヘイヘイ〇〇効いてる効いてるww」を地で行くような論調といい、ネット言論の延長みたいな記事だなと言うのが率直な感想。
この雑誌を読むことはもう無いだろう。


余談の余談ではあるが、「竹島に行ってみた!」の帯に古谷氏の顔写真が用いられている。それは良いのだが、その古谷氏のトレードマークとも言うべき長髪が寝起き直後みたいなことになっている。本書には豊富な写真が掲載されており、中には魚市の女性店員や韓国人夫妻と一緒に撮った写真なども紹介されているのだが、その時の古谷氏の頭髪は整っていてまだ見栄えがいい。
たまたま帯に用いる写真を撮影する際に強風でも吹いたのか、はたまた、暗に「竹島取材は頭がボサボサになるほど大変だった」という意味を込めているのか、それともそのボサボサ頭を前面に押し出すことで、少しでも書店を訪れた人々の興味を惹こうという商業的目論見があっての事なのかは分からない。

サムゲタンをステマしているのはネット右翼じゃねーの?

嫌韓ネット右翼諸姉諸兄の参鶏湯騒動に対する反応として、大まかにまとめると下記のような意見が主だったものであろうか。


①原作では粥であったものを、わざわざ手間のかかる参鶏湯に変更する意図が不明



②病人に朝鮮人参を用いた料理を食させるのは不適切である。(人によっては之を以て韓流ゴリ押しの動かぬ証拠と主張する者もいる)



③参鶏湯は性欲を増進させるための料理であり、病人に食させるものとしては不適切である。(人によっては之を以て韓流ステマの動かぬ証拠と主張する者もいる)



④参鶏湯は日本では馴染みのない料理であり、之を唐突に持ち出すのはゴリ押し以外の何物でもない






私なりの見解を述べてみる。
①私などは逆に、調理が比較的簡単な部類に入るであろうお粥では無く、手間隙かかる料理に変更したことで先輩の青山七海に対する愛情、思いやりの度合いが一層強く表現されていると感じた。
「参鶏湯である必要性は無い!」という人もいるだろうが、同時に「参鶏湯ではいけない」という確かな理由も根拠も無い。

②参鶏湯に必ず朝鮮人参を用いなければならないという決まりは無い。
薬膳料理としての効能を期待するなら、病状に応じた具材の選択は幾らでも可能である。
件のアニメでは材料をコンビニに買出しに行ったものと記憶しているのだが、私の知る限りでは朝鮮人参を置いてあるコンビニというのは見たことが無い。必然的に作中の参鶏湯も朝鮮人参を使わないものと解釈するのが打倒だが、件のアニメを中傷している嫌韓馬鹿ウヨ諸氏の大多数が、ロクにアニメを視聴すらしていないで批判している傍証に成り得る。
こう書くと「内臓を抜いた鶏だってコンビニには置いていないだろう」という反論が来るかもしれないが、少なくとも朝鮮人参よりは遥かに入手が可能であろう。その辺りは具体的な描写が無いから、これ以上は何とも言えない。

③そういう目的で食する人もいるだろうし、前述のように薬膳として用いる人もいるだろうし、勿論普通の食事として食べても何の問題も無い。
どうも嫌韓馬鹿ウヨ諸氏は参鶏湯と媚薬の区別もつかないようだ。

④アマゾンで何気なく参鶏湯を検索してみたら、永谷園エースコックが参鶏湯に関わるインスタント食品を既に発売していた。
日本最大のレシピサイト「クックパッド」では11月23日現在で302件もの参鶏湯レシピが紹介されている。キムチ鍋すら否定する嫌韓馬鹿ウヨ諸氏にとっては不愉快な現実かもしれないが、参鶏湯もキムチ鍋ほどではないものの、日本社会に浸透しつつある料理なのかもしれない。


以上のように、一連の参鶏湯騒動を以て韓流をゴリ押ししたい連中の陰謀だのステルスマーケティングだのという主張は荒唐無稽なものでしかない。
そもそも、参鶏湯に対する基本的な知識すらない。
寧ろ、些細な出来事を媒体として騒ぎを大きくし、参鶏湯を世に知らしめる嫌韓馬鹿ウヨ諸氏こそ、誰よりも参鶏湯を結果的に世間に宣伝しているように見えるのは私だけだろうか。




さて、余談ではあるがかつて「鉄鍋の醤!」という中華料理を題材とした料理漫画があった。主人公・秋山醤が参鶏湯を作って人に食わせる話があるのだが、もし嫌韓馬鹿ウヨの姦しい今日に連載中であったら、馬鹿ウヨ諸氏から「中華料理の漫画で韓国料理が出てくるのは不自然だ!ステマだ!ゴリ押しだ!」と故無き中傷をされていたのだろうか。

まあ、食わせた理由が自分(秋山醤)の腕を折った相手に対する意趣返し。その参鶏湯は特殊な配合で、食べた者の意識はハイになり、同時に体が痺れて動けなくなるというとんでもないものだったので、これはこれで違う意味で話題になっていたのかもしれない。

日テレも大差無い

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121117-00000018-pseven-soci


テレビ局が使えるお金が最近ますます減っているという。今はどんな状況にあるのか。現場スタッフがテレビ業界の実態を語り合った。

日本テレビ系報道番組ディレクターA:ドラマ現場は制作費の削減で頭を抱えている。カネをかけない方針が、そのまま数字に出てしまっている。

フジテレビ系ドラマ番組プロデューサーB:フジテレビの『家族のうた』と日本テレビの『クレオパトラな女たち』がともに8話で打ち切られた。NHK大河ドラマ平清盛』がコケたのが救いで、“ドラマは冬の時代だよね”で済んでいますけど。

テレビ朝日系バラエティー番組プロデューサーC:春・夏ドラマが低調なのは業界の常識。夏は帰宅時間が遅くなって視聴者が少なく、寒くなると視聴者が増えるからね。出演者も秋・冬ドラマは話題になることがわかっていて、夏場のドラマの主演をやりたがらない。秋冬はギャラが安くても出演してくれるから、各局とも大物を使うことができる。

日テレA:フジテレビも月9ドラマ『PRICELESS』に木村拓哉を起用している。他にも米倉涼子天海祐希菅野美穂深田恭子沢口靖子と大物を起用したドラマが目白押しだが、どのドラマも強い女がテーマになっている。相変わらず医療現場やミステリーものが多く、いかに過去の話題作をパクっているか。

フジB:医療現場が多いのはコスト削減と無関係ではないでしょう? 病院内が主な舞台となっているから、ロケが少なくセットでスケジュール通り撮影を終わらせることができる。医療ドラマは過去のドラマのセットを使い回すのが常識だし、医療機器のセットは実際よりカネがかかっているように見えるからコスト削減にはもってこいだしね。

 米倉涼子主演のテレビ朝日の『ドクターX』は手術室を使っているが、救命救急センターの研修医の成長を描いたTBSの『レジデント』はそれさえケチっているのか、すぐに処置室で開腹してしまう(笑)。

日テレA:最終回に平均視聴率40%をマークした松嶋菜々子主演の『家政婦のミタ』(日本テレビ)が悪例を作った。松嶋の衣装は帽子にダウンジャケットで、ほぼ全編が一軒家での撮影だった。カネを使わなくても数字が取れることを証明してしまった。

テレ朝C:ハイビジョンになってからドラマの大道具さんが泣いている。あまりに鮮明に映るのでセットのアラが見えてしまう。そのためミステリードラマなどは実際の建物で撮影することが多い。

 そこで編み出したのが、地方都市でのロケ。地元の観光協会などとタイアップし、温泉ホテルなどを舞台に展開する。宿泊費や食事代は無料ですからね。2時間ドラマにこの手法が多いが、さすがにホテル側から殺人現場は建物の外という条件が出るようです。

日テレA:韓国ドラマはBSに舞台を移しそうだ。配給会社を通じて韓国のテレビ局から作品を買い付けて放送するが、自前で番組を制作するより低コストで固定ファン層がいる韓国ドラマは魅力が高かった。しかし、あまりに増えすぎて差別化できなくなった。フジテレビ低迷の原因は韓国ドラマに頼り過ぎたため。やはり手を抜いて数字は取れないということですよ。



















BS日テレ


http://www.bs4.jp/drama/


BSフジ


http://www.bsfuji.tv/top/index/movie.html


韓流ドラマへの頼り具合は日テレもフジも大差無いように思える。